「火入れ」を新居住人と瓦との”出会いの儀式として”演出し、式では、一家が「家内安全」「絆」「感謝」としたためた半紙を窯に入れ、その想いとともに瓦を焼き上げます。
地震に強い
建物の構造がしっかりしてさえいれば、瓦の屋根は震度7の激震にも耐えうるものです。
瓦の軽量化屋根葺き工法の改良、構造に関する指導など、耐震性能を追求。どこよりも地震に強い瓦屋根をていあんしています。
鍾馗さんの物語
京都の屋根で見かける鍾馗(しょうき)さんの歴史を紐解くと中国は「唐」の時代に遡り、第六代皇帝「玄宗」が病に臥している時のお話です。
玄宗の夢の中に一匹の小さな鬼が現れ、玄宗の玉笛とを妻「楊貴妃」の匂い袋盗もうとしました。
鬼の手が玄宗にかかろうとした時、髭面の大男が現れ鬼を引き裂いてあっという間に退治してしまったのです。
夢の中に現れた髭面の大男は「鍾馗(しょうき)」と名乗り、玄宗に跪いて「科挙(※)の試験に失敗したことを恥じ自ら命を絶ったにもかかわらず、帝に手厚く葬っていただいたことを感謝しております。
今日はその恩に報いるため参りました。」と話した。
玄宗が夢から覚めると病はすっかり癒えて元気になっており、鍾馗(しょうき)が鬼を退治し帝の病が癒えたという話は、あっという間に国中に広まり、髭面の鍾馗(しょうき)は道教の神として祭られるようになったということです。
なぜ京都を中心に広まったのか?
するとお向かいの奥さんが原因不明の病に倒れてしまいます。
病を治そうと原因を探ると、薬屋の立派な鬼瓦により跳ね返った悪いものが向いの家に入ってしまうからだということがわかりました。
そこで鬼より強い鍾馗(しょうき)さんを伏見の瓦屋に作らせ、魔除け・厄除けに据えたところ病が完治したというのです。
それ以降、京都では鬼瓦の対面に鍾馗さんを据えるようになったようです。
そんな謂れの鍾馗(しょうき)さんですが、どうして京都中心に広がったのかというと、向かいの家が鍾馗さんを上げると、 文句は言わず黙って同じように自分の家にも鍾馗さんを上げるという京都人の性格にもあったようです。
ただ、ご近所同士にらみ合いにならないように正面を向いていない鍾馗(しょうき)さんも多く、他にも微笑み返しとしての「おたふく」を対面に据える場合もあるようです。
今では瓦屋根の家も少ないことからどんどん少なくなってきている鍾馗さんですが、屋根に上げず玄関先に置くだけでも効果があるそうです。
昔から伝わる京都の鍾馗文化を未来にも残していきたいですね。